美しく暮らしたい

すべてを自らの手で作る暮らし

できることから

ひとつひとつ

「日 和」
 
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早朝、雲海の底に眠る黒姫の街。





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露が一斉に光を放つ。





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作業日和。






黒 姫 08:41 -
「雲の峰」
 
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黒 姫 02:47 -
「夏 霧」
 
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霧に包まれた隣の牧場。
霧の多いこの土地の風景が本当に好きだ。
道を下ったところにある牧場では今年ヒツジを飼い始めていた。

冬支度をして以来の黒姫。
冬は雪に閉ざされるので作業の続きは翌春となるのだが
春に全く通えず夏を迎えるのは初めてのことだった。

黒姫での作業を進めるため、一年のうちの半分に展示会を
集中させる暮らしを始めてから二年。
毎月展示会をこなすのは自分の制作ペースでは本来は不可能なのだが
人生で一番しんどい時期と腹をくくり、なんとか必死で続けている。
ようやく予定していた全ての展示会を終えることができた。
泳ぎきったと言うよりは、最後は溺れながら波に打ち寄せられた感じだ。

展示会準備にずっと時間をとられてきたので
それ以外のやらなければならない仕事が随分と滞っている。
お待たせしてしまっている皆さま、本当にすみません。
この夏はやり残している仕事にあてたいと思っています。
暖かいお声を頂き本当に感謝しています。





黒 姫 20:16 -
「成 冬」

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大地が凍り、草木に雪が舞い降り、そうして冬がやって来た。

手紙等で、寒空の下での開拓作業を案じる言葉を多数頂いています。
ありがとうございます。

朝、ブーツが車の床に凍りついて履けなかったりもしますが(笑)
寝袋を二重にして相変わらずの車中泊で頑張っています。
寒さが厳しいほど増す自然の美しさに日々感動しています。

この土地に出会い、四度目の冬です。






黒 姫 18:05 -
「霜の朝」
 
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黒 姫 02:30 -
「黒 姫」
 
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開拓も気がつけば4年目に突入。
まだやっているのかと言われますが、
まだやっているんです。(笑)

家や小屋を建てる場所を掘ったり、道を作ったり、
そこから出る大量の岩や石をひとつひとつ運んで石積みしたり、、、
そんなことをしています。建築までもう一息。
あと、木や植物を植え始めています。

この夏はたくさんの友人、知人が駆けつけてくれました。
二人きりでやっている時とは明らかに成果が違います。
遠い所をわざわざ本当にありがとうございました。
とてもとても助かりました。




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黒 姫 09:28 -
「石 積」
 
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あちこちで黒姫の土地の様子を聞かれます。
すみません。開拓は続けていますが開拓記が止まっています。

久々にアップしていこうと思っていますので、
楽しみにしてくださっている方々、もうしばらくお待ちください。


この写真は隣の牧場のものですが、
うちの土地も大体こんな感じで大きな岩がゴロゴロしています。
岩だらけといってもいいかもしれません。
ちょっと掘ったり均したりすると地表の何倍もの岩や石が顔を出します。

それらを動かしてはひたすら石積みをしています。
今年はずっとそれ。なかなか進まない地道な作業です。


でも幾十年もの後、蔦が絡まり所々崩れているその石垣を、
この日々を想いながら眺めている自分がいることでしょう。

だいぶ齢を重ねたその老人が呟いているかもしれません。
「美しいな・・・」と。

そう思うとこの石ひとつひとつを積み上げている時間もまた、
なんだか掛けがえのないもののように思えてくるのです。





黒 姫 13:53 -
「雪 消」

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黒姫の雪消(ゆきげ)

四月の中頃、
一冬埋もれたままの大地がようやく陽の光を浴び始める。

雪間にフキノトウが嬉しそうな顔を並べていた。
雪の下でも春の仕度は着々と進んでいるのだ。

今季は雪が多く1m70cmほど積もった。
二月に訪れた時には随分と地面から離れたところに立っていて、
まるで空中散歩のよう。
いつもの風景が少し違って見えた。





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解けだした水が
ゆっくりとゆっくりと大地に染み込んでゆく。






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生命たちを潤しながら、もといた海へと還る。 








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世界は今、深刻な水不足に苦しんでいる。
今世紀半ばには40億人が水不足に陥るとも言われているなか、
この国はその例を免れている。


資源がない、資源がないと言うけれど、
いったい何をもって資源だと言っているのだろう。

無いものだけに目を向けるのではなく、
あるものに対してもっともっと目を向けたい。


「コップ半分の水」というよく使われる例えがある。
プラス思考マイナス思考の話がしたいわけではないけど、
無いほうに目を奪われ「ない」ととるのか、
あるほうに目を向け「ある」ととるのか。

ちょっと見方を変えるだけで
必要以上に求めるのか、足るを知るのか、
180度違ってくる。



「奪い合えば足らず、分け合えば余る」

震災直後、東京の異常なまでの物不足とその後の収束は
まさにこの言葉そのものだった。


自分達は「足らない」と思い過ぎる。


地球上で最も過酷な地、ジブチの砂漠の民が
その乾ききって"なにもない土地"を指してこう言っていた。


「神が与えてくれた土地であり、
 なにひとつ不足のない自由で豊かな土地」なのだと。





黒 姫 09:45 -
開拓記 6 「重ねる」


 
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            2010 初冬








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倒した木々で建築に使えないものは細かく刻み、
ぎりぎり持ち上げられるくらいにして運ぶ。





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嫁も運ぶ。



伐りたての生木は水分をたっぷり含み死ぬほど重い。
一日の終わり頃には二人の四肢は完全に麻痺。
産まれたての子鹿状態に。



それでも日々それを積み重ねることによって
少しずつ少しずつ土地が整備されていく。

肩に残る痕と感触はそっくりそのまま
樹が重ねてきた時の重み。

重さによろけ蛇行する対の足跡は
そこに積み上げられた木の数だけ土地に刻まれ。

そういういろんなものの堆積が
とても貴重なもののように思える。

そういうことをしたり感じたりする機会は
とても少なくなってしまっているから。






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「夜空に月の無い時期に伐る木は長持ちする」

日本の林業に古くから伝わる教えがある。

"新月伐採"と呼ばれるもので、
冬のその時期に伐られた木はカビない腐らない、
反らない割れない、虫がつかないうえに色艶も良いとされる。


昔の伐採は冬季に、月の暦に合わせて行なわれてきた。

だが時は経ち、その言葉はかつての力を持たなくなった。
それに従う伐採はごくごく少数となる。
全くの事実無根と言い切る人も出てきた。


ただ月云々は別にしても、冬に木を伐ること自体は
ちゃんと理にかなっている。

木は冬の休眠期には水の吸い上げを止めるから、
重さはピーク時のそれよりずっと軽くなる。
あらゆる作業が楽になるし、乾燥もさせやすい。

それと同時にデンプン質が少ない時期でもあるから、
腐れや虫食いの防止にもなる。

さらに、枝葉を伐らずにそのまま放置してゆっくり枯らす
"葉枯らし"と併せることにより、カビや腐朽菌を防ぐ
フェノール成分を増加させることもわかっている。





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昔の知恵を闇雲に信じたいわけではない。

ただ、500年の歴史を持ち、日本の林業の手本
とされてきた吉野植林地域でも昔から伝わる教えだという。

そしてそれは欧州にも残る言い伝えらしい。
かのストラディバリウスも新月伐採の木で作られているとか。

そこに何かがあったとしても決して不思議ではない気がする。




冬は人の背丈くらい雪に埋もれる黒姫。
葉枯らしはあまり意味が無さそうなので諦めた。
けれど月の状態はなるべく意識しながら伐採を進めた。


木は生き物だから当然個体差があり、そもそも絶対の方法
なんてものは無いのだろう。
少ないサンプルのデータをもとに新月伐採の是非を問うのは
あまり意味がないと思う。

石油を使った現代の人口乾燥にも良い面はある。
完璧に品質管理され、完全乾燥させた木で作る家はきっと
長持ちするはずだし、それは森を守ることにも繋がる。

いろんな考えがあっていい。
むやみに新月伐採の木を信頼したり、
ブランド化して値をつり上げることには自分も疑問を持つ。

ただ、季節とか月とかそいうものと人との密接な関係が薄れ、
いつでもどこでもお構いなしに木々が伐られ、
どこにどれだけ送り出したかもわからないような状態で、
伐採から間もない木が10日くらいの強制乾燥を経ては
次から次へと出荷されてゆく…

そういう世界だけがこの世に残ったとしたら、
それはなんだかとっても悲しい。

身をゆだねる自然に五感を重ね、
作るものやそれを渡す相手に想いを重ね、
重なる時間や重ねる時間に心を重ねる。

人間とは本来そんなものであるような気がして
ならないから。







黒 姫 13:41 -
「未 草」
 
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開拓記を綴っている途中ですが、
ここでそもそも何故そんなことをしているのかという
一番大事な部分について触れておきたいと思います。



今から十数年前、オーストラリアの山あいの草原で
自給自足に生きる家族と出会い、人生が変わりました。
 
周りにある木や石、土や廃材で作る家も、
そこに暮らす人々の顔もまた美しく、
何より日々の暮らしそのものがたまらなく美しかったのです。
人間のあるべき姿を見た気がしました。

以来「どうしても伝えたい生き方がある」
強くそう思うようになりました。



帰国し、必要な技術を学びながら
自然のものや、棄てられゆくものたちを集め、
暮らしにまつわる様々なものを自分で作り始めました。

それが生業として成り立つのかどうかはあまり考えませんでした。
そして今もあまり深くは考えていません。
ただただ、彼らのような生き方を目指し夫婦で共に歩んでいます。

ようやく探し求めていた理想の土地に出会うことができました。
今までの廃材や古布などを使った作品作りに加え、
より身の周りの自然を生かしたもの作りをしてゆきたいと思っています。
そしてそれらは、衣食住全てに渡ったものへとなってゆくことでしょう。

そんなもの作りや生き方を通して伝えたいこと。
それは、身の周りにある自然の力を借り、既にあるものを上手に利用すれば、
人は十分豊かに幸せに、そして美しく生きることができるということ。

それを実践し示してゆくことこそが自分に与えられた役割だと思っています。
その表現のひとつとして昨年HPを立ち上げました。

知人にはお知らせしていたのですが、
一年の準備期間を経て、今日より本格始動させたいと思います。


http://hitsujigusa.com/


名は 「未 草」 (ひつじぐさ) といいます。
日本に古くから自生する唯一の睡蓮の名を借りました。

あの土地で、大地にしっかりと根を張り、
流れる水に身をゆだね、毎日広い空を眺めて生きてゆく。

それをひと言で表せる言葉は何かとずっと考えていました。
そんな時、黒姫近くの池で出会ったのがこのヒツジグサでした。
ストンと二人の胸の奥に落ちました。

水に漂い、泥の中から控えめで美しい白花を凛と咲かせるその姿に、
自分達を重ねて思いました。そんなものでありたいと。

そうして生きた暮らしから零れ落ちる種のようなものが
誰かを幸せにしたとしたら自分達も幸せ。
そんなもの作りでありたいと。

歩いた跡に一輪の花を咲かせたい。
そんな想いでものを作り生きてゆきたい。


まだそれとわからない新芽のような「未 草」ですが
末永く見守っていただけたら幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。


 小林 寛樹 ・ 庸子



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