米国では近年、不用なダムを撤去する方向へと舵を切り始めているそうだ。
新たな流れに希望を見た。
日本にはこの狭い国土に3000近いダムがひしめき合っているという。
河川の勾配のきつさや水害の多さは世界でも有数のもので、仕方のない部分もある。
しかし建設業にまつわる官民の癒着ぶりを示す事例は枚挙にいとまが無いのもまた事実。
全てにおいてクリアで正しい判断が下されてきたとは決して言えないだろう。
たとえ「正しかった」としても時代が変わり、事情が違ってきているところもある。
必要なダムも勿論あるだろうが、一つ一つ精査していくことには大きな意義があると思う。
荒瀬ダムの撤去は新たな歴史を作る画期的な出来事だった。
かつての他の事業同様、バラ色の未来を謳われて竣工された荒瀬ダム。
しかし後にダムの撤去を望んだのは他でもない地元の住民その人達だったそうだ。
逆に水害は増え、地域を支えていた自然資源も失い、衰退の一途を辿った半世紀だったという。
失われたものの大きさを身をもって知った人々の言葉はやはり重い。
気になるのはダム撤去についての目立った報道がほとんど見られなかったということ。
大型ダムの撤去は日本のみならずアジアでも初めてであるはずなのに
それが全くといっていいほど話題にされていないところに見えない意図を感じる。
経済偏重の近視的な視点、数字に囚われ過ぎた机上の論理、実在しない幻想にすがる時代
というようなものは、もういいかげん過去のものとしたい。
より視野の広い新たな時代の議論がこの国でもなされることを強く願う。
「DAMNATION」■
「荒瀬ダム撤去」■