2010 初冬
倒した木々で建築に使えないものは細かく刻み、
ぎりぎり持ち上げられるくらいにして運ぶ。
嫁も運ぶ。
伐りたての生木は水分をたっぷり含み死ぬほど重い。
一日の終わり頃には二人の四肢は完全に麻痺。
産まれたての子鹿状態に。
それでも日々それを積み重ねることによって
少しずつ少しずつ土地が整備されていく。
肩に残る痕と感触はそっくりそのまま
樹が重ねてきた時の重み。
重さによろけ蛇行する対の足跡は
そこに積み上げられた木の数だけ土地に刻まれ。
そういういろんなものの堆積が
とても貴重なもののように思える。
そういうことをしたり感じたりする機会は
とても少なくなってしまっているから。
「夜空に月の無い時期に伐る木は長持ちする」
日本の林業に古くから伝わる教えがある。
"新月伐採"と呼ばれるもので、
冬のその時期に伐られた木はカビない腐らない、
反らない割れない、虫がつかないうえに色艶も良いとされる。
昔の伐採は冬季に、月の暦に合わせて行なわれてきた。
だが時は経ち、その言葉はかつての力を持たなくなった。
それに従う伐採はごくごく少数となる。
全くの事実無根と言い切る人も出てきた。
ただ月云々は別にしても、冬に木を伐ること自体は
ちゃんと理にかなっている。
木は冬の休眠期には水の吸い上げを止めるから、
重さはピーク時のそれよりずっと軽くなる。
あらゆる作業が楽になるし、乾燥もさせやすい。
それと同時にデンプン質が少ない時期でもあるから、
腐れや虫食いの防止にもなる。
さらに、枝葉を伐らずにそのまま放置してゆっくり枯らす
"葉枯らし"と併せることにより、カビや腐朽菌を防ぐ
フェノール成分を増加させることもわかっている。
昔の知恵を闇雲に信じたいわけではない。
ただ、500年の歴史を持ち、日本の林業の手本
とされてきた吉野植林地域でも昔から伝わる教えだという。
そしてそれは欧州にも残る言い伝えらしい。
かのストラディバリウスも新月伐採の木で作られているとか。
そこに何かがあったとしても決して不思議ではない気がする。
冬は人の背丈くらい雪に埋もれる黒姫。
葉枯らしはあまり意味が無さそうなので諦めた。
けれど月の状態はなるべく意識しながら伐採を進めた。
木は生き物だから当然個体差があり、そもそも絶対の方法
なんてものは無いのだろう。
少ないサンプルのデータをもとに新月伐採の是非を問うのは
あまり意味がないと思う。
石油を使った現代の人口乾燥にも良い面はある。
完璧に品質管理され、完全乾燥させた木で作る家はきっと
長持ちするはずだし、それは森を守ることにも繋がる。
いろんな考えがあっていい。
むやみに新月伐採の木を信頼したり、
ブランド化して値をつり上げることには自分も疑問を持つ。
ただ、季節とか月とかそいうものと人との密接な関係が薄れ、
いつでもどこでもお構いなしに木々が伐られ、
どこにどれだけ送り出したかもわからないような状態で、
伐採から間もない木が10日くらいの強制乾燥を経ては
次から次へと出荷されてゆく…
そういう世界だけがこの世に残ったとしたら、
それはなんだかとっても悲しい。
身をゆだねる自然に五感を重ね、
作るものやそれを渡す相手に想いを重ね、
重なる時間や重ねる時間に心を重ねる。
人間とは本来そんなものであるような気がして
ならないから。