石巻から南三陸、気仙沼、陸前高田と被災地をまわった。
被害の特に酷かった地域ではあるが、
あくまで被災地のほんの一部だ。
これだけでこの震災の被害をわかった顔はしたくない。
だがひとつだけ確実にわかったことがある。
それを伝えたくてこうして何度も日記を書いている。
それは"人手が圧倒的に足りていない"ということだ。
とにかくこの一言に尽きる。
もちろん人も重機もたくさん現地に入っている。
だがあまりにも被災範囲が広大すぎて、
散らばるとほとんど救援無しのような状態になってしまうのだ。
最優先な場所に数を集中させる必要もあるが、
切り捨ててよい場所があっていいはずもない。
そのあたりのジレンマを抱えつつ、
復興への歩みは続けられている。
復興がここまで遅れているということは、
現地に来るまで正直わかっていなかった。
震災からすでに三ヶ月以上も経過している。
世界や日本各地からの支援のニュースや
復興の様子が流され、明るい話題も増えた。
今頃駆けつけても、役に立たないかもとすら思っていた。
だが大きな勘違いだった。
復興への道程はそんな生半可なものではなく、
果てしなく遠い、先の見えないものであった。
その果ては数年やそこらで見えるものではない。
数十年はかかるだろう。
写真で見る画はショッキングなものが多いが、
それはあくまで一点を見つめたもの。
本当に衝撃的なのはそれが360度 数kmに渡って広がり、
しかもそれが数十km、数百kmと連なっているという事実。
この凄まじさはそこに立たないとわからないかもしれない。
ボランティアのやっていることなんて、
スプーンや耳かきで山を無くそうとしているようなもの、
というふうにも思えた。それくらい果てしない。
ただ、それでも極々せまい範囲に目をやれば、
「果てしない…」と呟きながら片付けていた瓦礫の山も、
やがては低くなり、遂には地面が顔をのぞかせる。
その瞬間はちょっと感動的だ。
小さいけれど確かな希望を見た感じがする。
何かをとり戻した感じがする。
人の住む地域はもちろんだが、
山を流れる美しい沢沿いの木々の枝に残るゴミまでも、
全てがなくなるその日まで復興は終わらない。
かけがえのない人を失った人々の心の問題や、
福島のことを思えば、さらに永い年月が必要となってくる。
"希望とは地上の道のようなもの"という言葉がある。
もともと地上に道はない。
歩く人が多くなればそれが道になるのだ。
ここは日本がひとつになって、
皆で美しい東北をとり戻してゆけたらいい。
そして今こそ本気で未来の在り方を考え直したい。
今を逃したらこの先絶対変われない。
世界が倣うような国のありようを示せるかどうか、
我々の言動を世界が見守っている。
犠牲をただの犠牲で終わらせないことこそが、
失われた命への真の供養だと思う。