美しく暮らしたい

すべてを自らの手で作る暮らし

できることから

ひとつひとつ

「展覧会」
 
sakikeika_DM.jpg




sakikeika_map.jpg





中国地方初の展覧会です。
ちょっと遠くて大変ですが初めての地を訪れる
のはとても好きです。なかなかお会いできない
方々とお話できることを楽しみにしております。
ぜひお越し下さい。

初日と最終日の16日(水)と21日(月)は在廊
予定です。宜しくお願い致します。






告 知 13:21 -
「羊」


sheep.jpg



シルクロードを行き交う荷馬車の上の羊。

自分の中では完全にそれだったのだ。
だが予想外の反応。「何これ?」「象?」

そんなわけはない。
カシュガルあたりの並木道で
驢馬の曳く荷車に揺られる羊なのだ。

シルクロード云々は別としても
羊にも見られないことに驚く。
それも幾人もの人から。

もともと、あまりはっきりとわからない
「○○のようなもの」を作ることが少なくない。
見る人にゆだねたいと思うから。

この羊も細部を「正しく」は作っていない。
品種も木の色味に合わせて
勝手に変えているから西欧の匂いもする。

ある人にとっては、
「アイルランドの鈍色の空の下 雨に濡れそぼる羊」
なのかもしれない。

あるいは全く別のなにものか。


自分だけにしか見えないことや
その人だけにしか感じられないことってある。
そういうのって面白い。





彫 刻 02:49 -
「寝 台」
 

bed_2.jpg





bed_3.jpg





華奢だけれど凛とした彼女によく似合っていた。
ほつれた生成色の布を掛けた姿もとても綺麗だった。

かつて出産直後の無理なお願いにもかかわらず
本当に素晴らしい作品で応えてくれた彼女。
その気持ちに対してどうしてもお礼がしたかった。

友人のために作ったベッドを届けて来た。

二年越しになってしまったけど、
さすがにプレゼントとはいかないけど、
精一杯の感謝の意を込めて。





bed_1.jpg




家 具 11:09 -
「雪 景」

kurohime_5.jpg





kurohime_1.jpg





kurohime_2.jpg





kurohime_3.jpg




真冬に一度訪れなければと二月の黒姫へ。
旅人としてではなくそこに暮らす人間としての視点で
その厳しい様を見ておきたかった。

東京に生まれ育った自分が
雪国の、しかも冬の山暮らしを見て何を思うのか知りたかった。
果たして結果は―

冬の黒姫もまた大好きだなということだった。

移住者の方の「冬こそがいいんだ」
という言葉の意味が今ならよくわかる。
もちろん大変なことや不便なことはたくさんあると思う。
でもそれに余りある素晴らしいものがそこにはある。
「本当の四季」のリズムがこの体に刻まれてゆくのが嬉しい。
静謐で透明感のある、「雪のある風景の色」が自分の中に
新たに堆積してゆくのもまた嬉しい。

チベットにアラスカ
宮沢賢治、星野道夫にターシャ・テューダー
「大草原の小さな家」に「北の国から」

昔から憧れてきたものはすべて白銀の世界と共にあった。
そこに住むのが自然な流れなのかもしれない。

オーストラリアでサーフィンを始め
南の暖かな海に暮らすことを夢見たりもした。
でも今はもう諦めた。
今は一番自分らしく生きられるこの地に何の迷いも無い。

雪国に暮らすのは初めてだけど、
「人生は初めてのためにある」とは誰かが言っていたっけ。
たくさんの初めてに出会い、子供の頃のように感動したい。
「感動こそが人生」だと思う。

大好きな人達に温かく迎えてもらい
とても幸せな二月の黒姫だった。





 
黒 姫 09:57 -
「10センチ」
 
10cm.jpg


木工デザイナーの三谷龍二さんと
FRPを使った造形作家ナカオタカシさんとの対談で松本へ。

場所は三谷さんが新しく作った自身のギャラリー「10cm」 

サイズ感や色合いがなんとも可愛いらしい建物。
あえて替えていないレトロな看板といい
手の入れるところ残すところの匙加減が絶妙だった。
古きよき建物の魅力を十分に残しつつも
実にシンプルで趣味の良い三谷さんらしい空間。

お店部分の奥に広がるキッチンにダイニングルーム、
トイレ、バスに寝室とそのどれもがとても魅力的だった。
むしろお店は端っこのほんの一角。
そのお店そっちのけな感じがまた良かった(笑)

見せるためだけのお店とかよりも
その人の生活がそこにある空間が好きだ。
お店はとてもお洒落だけど暮らしは別とか、
日常と非日常とかよく線引きされるけど
本当はそんな線引き無くなればいいって思う。
日本はもう十分に豊かなのだから日常や日々の暮らしにも
もうちょっと気を使える余裕があるはず。

余計なものは持たず、必要なものだけをよく選んで、
既にあるものを上手に生かし暮らしてゆけば
生活もまたもっとすっきりとした美しいものに
自ずとなっていくんじゃないかな。

実はこの建物も三谷さんが行動を起こさなければ
今はもう存在していないはずのものだという。
ご他分に洩れず“お約束”の駐車場になっていたそうだ。

歴史的建造物とかではないただの町のタバコ屋さん。
たとえ公的保存が期待できないとしても
個人レベルでできることもあるのではと考えた三谷さん。
その想いが町の小さな灯りを再び灯させることとなった。

三谷さんのような影響力のある人がこうして
形にして人に見せてくれることはとても大きいと思う。
自分のような若造が訴えるより遥かに世の中を動かす力がある。
こういう人、もっともっと増えて欲しい。



対談のほうはというと、
喋り下手なのであまり思うように話せなかったのだが、
お二人とお会い出来たことはとても良かったし
いろいろと勇気付けられた。
独学の人 道を切り開いてきた人 王道に背を向ける人
そんな人に昔から惹かれてきた。
普通の道を通らず寄り道回り道をしてきた人たちの
見てきた風景、そこで考えてきたこと、
そしてその人が今差し出してくるものには
その人にしかない唯一無二の“何か”がある。

当日耳にしたことは初めて聞く事ばかりだったけど
なんとなく直感的に感じ取っていたことのような気もする。
聞いて納得ということが多かった。
この人好きだなという第一印象は
意外なほど当たっている場合が多い。

人は手作りの楽器のようなものだと思う。
自分にしか出せない音がある。
他人と比べたりとか競争したりとかではなく
自分にしか出せないその音に
自分なりに精一杯こだわって生きてゆけたらいい。







雑 記 16:59 -
「光と影」

prism.jpg







shadow_4.jpg







shadow_6.jpg






予期せぬところにほんの一瞬姿を見せる光と影。
家の中で拾う小さな感動。

その出会いはいつも不意に訪れる。

ドアの開き具合、植物の置いた位置等といった
いくつかの偶然から織り成される刹那の奇跡。

家の中のなんでもない場所が
突如スポットライトに照らし出され、
ある一瞬 劇的な光と影の舞台となる。

神出鬼没のその舞台は
そこに観客が居ようが居まいががまるでお構いなく
静かに部屋の片隅で舞台の幕を上げる。


寒くて嫌われがちな冬だけれど
決して悪いことばかりではない。
鋭角に射す柔らかなその光は
それでもやはり冬だけのものなのだ。





住 処 01:59 -
「冬の彩」

clematis.jpg


アンスンエンシス

庭の冬咲きクレマチスが満開を迎えている。
写真は大寒の日に健気に花開いた最初の一輪。

冬に葉を落とすアオダモの木の彩りにと植えたのだが、
思い通りに寒々しい冬の木立に葉を茂らせ
綺麗な釣鐘型の花を連ならせてくれている。
すっかり気に入ってしまった。




herb.jpg 


こちらは名前を忘れてしまったハーブ。 
虫除け効果があるとかで植えた。

上から眺めていると
肺胞のような、毛細血管のような。 
急にミクロの世界へ誘われる。
おもしろい。

かと思うと、
夏の夜空に打ち上がる花火のようにも見える。
クライマックスの大連発。
今度は大空へ。


何はともあれ
色も形もとても繊細で綺麗だ。





中 庭 20:41 -
「紅」
 
scarlet.jpg


目の覚めるような紅。
自然は凄い色を見せてくれる。

淡い色が好きな自分は
赤色に手を伸ばすことがまず無い。
使いたいと思うことがないし、
使おうと思っても上手く使えずけっきょく諦める。
だから鮮烈な赤とか赤使いを見せられると
ハッとするしとても憧れてしまう。

赤はとても強い色。
血、肉、炎、太陽などを想起させ、
生命の原初的な部分に触れてくる。

ヒトは太古の昔からその色を見ることによって
肉や果実の食べ頃を見分けたり、
戦や狩りで自他の生命の危険信号を受け取ったりしてきた。
その色を識別するセンサーは
他の多くの哺乳類には無く霊長類独特のものらしい。
特別な色だ。

その特別な色をヒトは古来から特別なものに使ってきた。
古くは古墳の棺や壁面に、やがて鳥居や神殿 仏教行事に、
現代でも祝い事にこの色は欠かせないものとなっている。

また戦うものにも赤はしばしば使われる。
有名な「ロンドンの衛兵」や
現実のものではないが「赤い彗星」に「紅の豚」。
その特別な色を上手く使ったときのカッコ良さといったらない。
何色をも敵わないし替えがきかない色だと思う。
他の色だとしたらあそこまでビビッドなイメージは
持たせられないだろう。

甲州武田の騎馬部隊とかも、
霞の間から見える赤い大軍団には
相手を震え上がらせるに足る独特の雰囲気があったはず。
赤い甲冑に身を包む兵士達の高揚感のようなものも
想像に難くない。

学生時代にやっていたアメフトでも
真紅のジャージにヘルメットの日大がフィールドに姿を現すと、
往年の常勝チームが醸し出す独特のオーラみたいなものを
強く感じたのを覚えている。


いつか自分も赤を特別な感じで
印象的に使えたらよいと思う反面、
一生使えなそうだなとも思う。
なんと言うか、「自分の色」ではない気がするのだ。
憧れは憧れだけで終わらせるのがよいのかもしれない。
それでもいつかはという一縷の望みは捨てずに
使わずとも選択肢の一つとして残しておきたい。
自分から切り離さずにいたい。
そんなこんなでこのblogにも紅の刺し色 
いれてみた(笑)





自 然 12:23 -
「木 靴」

kids_shoes.jpg                                                                        


直接読んだことはないのだが
詩人の高田敏子さんという方の作品に
幼い子の靴をうたったこんな詩があるそうだ。


おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に

小さな靴は おいてある

花を飾るより ずっと明るい



ありありと浮かぶその光景に大きく頷いてしまった。

玄関にそっと置いてみた
流木で彫った木靴。





彫 刻 08:36 -
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728     
<< February 2011 >>
about
categories
archives
links