美しく暮らしたい

すべてを自らの手で作る暮らし

できることから

ひとつひとつ

「樹 根」


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東北の震災から4年。実際その場にいた人達の言葉をあらためて見聞きしていると
芝居や想像の中には決して出てこないような意外な反応や言葉が少なくない。
それがまたリアルで、本当にそこで物凄いことが起きたんだなという感じがする。

人の心や捉え方は千差万別で、当事者でない人間が何を発信し何をすべきなのか
また何をしないべきなのかを判断するのは時に難しい。
震災直後は必要とされるものがわりとはっきりしていたが、今は様々な事情が
より複雑に絡み合っている。
気にはしながらも何も出来ずにいる人たちが自分も含め少なくない気がする。

震災の瓦礫を燃やさずに防潮林の土台に再利用し、そこに広葉樹の森を作っていくという
壮大なプロジェクトがある。
ただ棄てるのではなく、そこから何か新しいものを生み出すという事にも
そして広大な広葉樹の森を育てていくという事にもとても共感する。
興味ある方はぜひ覗いてみて下さい。











 
東 北 09:46 -
「三 年」
 
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あれから3年。
震災関連死という地震や津波を直接的な原因としない死者の数が3千人を越えたという。
特に福島の数が突出しているのが気になる。震災時のそれを上回ってしまった。
東京電力の電気を使って生きている人間としてやりきれない思いがある。
今年また被災地に赴き自分に出来ることを考えたい。





東 北 19:53 -
「一 年」

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3月11日。 あれから一年。


最愛の人を失い、
築いてきた仕事の全てを流され、
命のような土地まで奪われる…

自分だったらもう頑張れないかもしれないと
正直思う。



それでも立ち上がろうとしている人達がいる。

自分に何ができるのかじっくり考えたい。
去年訪れていない福島にも何かを。




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東 北 17:27 -
「復 興」
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石巻から南三陸、気仙沼、陸前高田と被災地をまわった。
被害の特に酷かった地域ではあるが、
あくまで被災地のほんの一部だ。
これだけでこの震災の被害をわかった顔はしたくない。

だがひとつだけ確実にわかったことがある。
それを伝えたくてこうして何度も日記を書いている。
それは"人手が圧倒的に足りていない"ということだ。
とにかくこの一言に尽きる。

もちろん人も重機もたくさん現地に入っている。
だがあまりにも被災範囲が広大すぎて、
散らばるとほとんど救援無しのような状態になってしまうのだ。

最優先な場所に数を集中させる必要もあるが、
切り捨ててよい場所があっていいはずもない。
そのあたりのジレンマを抱えつつ、
復興への歩みは続けられている。

復興がここまで遅れているということは、
現地に来るまで正直わかっていなかった。
震災からすでに三ヶ月以上も経過している。
世界や日本各地からの支援のニュースや
復興の様子が流され、明るい話題も増えた。
今頃駆けつけても、役に立たないかもとすら思っていた。
だが大きな勘違いだった。
復興への道程はそんな生半可なものではなく、
果てしなく遠い、先の見えないものであった。
その果ては数年やそこらで見えるものではない。
数十年はかかるだろう。

写真で見る画はショッキングなものが多いが、
それはあくまで一点を見つめたもの。
本当に衝撃的なのはそれが360度 数kmに渡って広がり、
しかもそれが数十km、数百kmと連なっているという事実。
この凄まじさはそこに立たないとわからないかもしれない。

ボランティアのやっていることなんて、
スプーンや耳かきで山を無くそうとしているようなもの、
というふうにも思えた。それくらい果てしない。

ただ、それでも極々せまい範囲に目をやれば、
「果てしない…」と呟きながら片付けていた瓦礫の山も、
やがては低くなり、遂には地面が顔をのぞかせる。
その瞬間はちょっと感動的だ。
小さいけれど確かな希望を見た感じがする。
何かをとり戻した感じがする。

人の住む地域はもちろんだが、
山を流れる美しい沢沿いの木々の枝に残るゴミまでも、
全てがなくなるその日まで復興は終わらない。
かけがえのない人を失った人々の心の問題や、
福島のことを思えば、さらに永い年月が必要となってくる。


"希望とは地上の道のようなもの"という言葉がある。

もともと地上に道はない。
歩く人が多くなればそれが道になるのだ。

ここは日本がひとつになって、
皆で美しい東北をとり戻してゆけたらいい。
そして今こそ本気で未来の在り方を考え直したい。
今を逃したらこの先絶対変われない。
世界が倣うような国のありようを示せるかどうか、
我々の言動を世界が見守っている。

犠牲をただの犠牲で終わらせないことこそが、
失われた命への真の供養だと思う。



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東 北 13:33 -
「貞 観」
 
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水墨画のような風景。

優れた景観を有する三陸の海は、
古来豊かな恵みをもたらしてきた。

だが千年に一度、その海は姿を豹変させる。
隠れた牙を剥き出しにし、人に大地に襲いかかる。


その昔、大きな天災がこの地を襲った。
遡ること千年。後に平安の貞観地震と呼ばれる大地震。
そしてこの地は大津波に見舞われた。

古い歴史書にその記述が残る。

「貞観11年5月26日、陸奥国で大地震があった。
 人々は叫び、倒れ、立つことも出来なかった。
 ある者は圧死し、ある者は地に埋もれた。
 牛馬は暴れ、建物の倒壊は数知れず。
 海は吠え、雷のようであった。
 巨大な津波が湧き上がり、たちまち城下にまで至った。
 内陸部までもが果てしなく大海原となり、
 原野も道もわからなくなった。船で逃げる事も、
 山に逃げる事も叶わず、死者は千人に上った。
 人の田畑も財産も何一つ残らなかった。」

 (現代語訳 意訳、省略あり)


まさに平成の東日本大震災そのものである。
牛馬は車に、城は空港にでも置き換えられようか。
死者千人というのも、当時の日本の人口を考慮すると
二万人規模とも考えられるらしい。

千年に一度、牙を剥き出し姿を変える三陸の海。
人々は畏れおののき海から離れ、
その恐怖は孫の代まで語り継がれたことであろう。
だが月日が流れ、いつしかそれは古い言い伝えとなり、
さらには迷信のようなものへとなっていった。
大地に残された傷痕も、跡形も無く消え去った。
やがて人々は再び海に集まり、暮らし、
安らかな心でこの海を眺めたことであろう。
豊かで美しいこの海を。


明け方の漁港を一人で歩いた。
現実のものでないような静けさの中で、
千年前のこの海を、そして千年後のこの海のことを
しばし想った。

今なお遺体が上がるこの海を眺めながら。





東 北 12:10 -
「孤 島」
 
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気仙沼と南三陸のあいだにある小さな漁港。
そこを見下ろす丘の上にテントを張り、
避難所にお世話になりながら、ボランティア活動に参加していた。

この辺りには小さくて美しい漁港が無数にある。
波一つない静かな海。
しかし目を疑うほど高い位置に津波の痕が残る。
手前にある家々も全てやられてしまっていた。

本当に綺麗なところなのに。
夕焼けも星空もとても美しいのに。



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リアス式海岸に古くから育まれた漁村。
壊滅状態のそれらを、数十キロ走る間に嫌というほど目にした。
石巻のような都市型ともまた違う。
水位を示す痕跡が信じられないくらい高い位置にある。
流されたというより、海の底に深く沈んだ感じだ。

また、田舎の復旧は都市部に比べて後回しにされてしまう。
国道や橋もズタズタのまま。完全に陸の孤島と化している。

唯一の鉄路も放置されたまま。
車を流された人も少なくないなか、
多くの人が移動手段を奪われたまま、なす術なく暮らしている。
そのうえ、電気も水も今なお通っていなかったりする。

 
 
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だが、こんな場所だからこそなのだろうか、
多くのボランティア達が集まっていた。
遠くは関西や四国からはるばる駆けつけ、
さらには九州から重機を運び、長期間活動している人達もいた。
本当に頭が下がる。
また、たとえ短い週末だけでも夜通し車を走らせ、
一睡もせずにボランティアを活動をこなしていく人もいた。

重機だけでは出来ない事がある。
人間の手にしか出来ない事がある。
そして、その手を必要としている人達がいる。

機械が扱えなくても、女性でも子供でも、
行って役に立たないなんてことは断じてない。
行ける人はぜひとも被災地へ向かって欲しいと思う。

自分もまた向かいたい。






東 北 11:09 -
「石 巻」
 


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石巻

東日本大震災で最大の人的被害を出した地域。
死者・行方不明者の数がずば抜けて高く、
この町だけで阪神大震災のそれに匹敵する。

宮城県第二の都市が長い海岸線沿いに広がっている。

狭い入り江にある小さな町であれば、日々の備えもあったであろう。
だが石巻のように広く海に開かれた大きな町が、
あのようにほぼ海に沈むことなど、一体誰が予測しただろうか。

ほとんどの児童が命を落とすという、小学校の悲劇が起きたのもここだ。

被災地域があまりに広大過ぎる。失われた命があまりに多過ぎる。
地獄のような様相だったであろうことが、今見ても想像に難くない。

震災直後、即座に駆けつけ救命活動にあたった自衛隊、
消防、医療関係者の方々に頭を垂れたい。


現在の石巻の復興具合は見ての通り。
重機が入り、ダンプも列をなして走ってはいるが、
それでもこのありさま。とにかく規模が大き過ぎる。
人手が圧倒的に足りていないのが実情だ。 

職人、ボランティア
いくら集まっても足りるという事はない。



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東 北 02:09 -
「爪 痕」
 
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そこに立ち言葉を失った。

地は沈み 脈々と隆起する瓦礫の山。

「想像以上」なのは予期していたが、
「それを遥かに凌ぐ想像以上」に
呻き声のようなものしか出てこない。

三ヶ月という短くない月日が流れた今でもなお、
震災直後のような生々しさをもって迫りくる。

360度この光景に囲まれて、
臭いを吸って、空気を肌で感じて、
しかもここに至るまでの数十キロの惨状の
連なりをつぶさに体感してはじめて
あの日、ここで何が起こり、
そうして今 どういう状況にあるのかということを、
自分の中で少しだけ理解した。

人が残す爪痕   
海が残す爪痕




東 北 09:59 -
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